伝統の老舗の趣、浅草『駒形どぜう』

台東区,食べ歩き

今年は桜の開花は例年より早く、昨日満開宣言がされて東京です。これから花見での飲み会が多くなる2週間ですが、あまり飲み過ぎには注意しないと思います。今年は何処で花見をしようかと考え中では有りますが(笑)

浅草『駒形どぜう』に訪れて

東京メトロ銀座線「浅草駅」を下車して、地上に上がると目に飛び込んでくるのは、浅草と言えば馴染みのアサヒの◯▲▽ビル、今も人気のスカイツリーと、浅草の象徴的なシンボルに迎えられて、足を雷門とは真逆に向けて、隅田川から流れる風を感じながら駒形方面へと向かう。バンダイナムコのビルの手前に、これまた相当旧い民家が目に飛び込んできます。今回訪れる御店、浅草『駒形どぜう』です。

『駒形どぜう』は創業1801年。徳川家斉の時代から続く浅草屈指の老舗。建物は江戸時代の代表的な商家造り、出桁造りを用いてます。2階に窓が無いのは、江戸時代は駒形から浅草寺まではお詣りのメインコースとして参詣コースとして多くの人々が往来してましたが、その中を武家の大名行列が通る際に、上から見下さないようにするために、窓を設けてないのです。
暖簾に描かれてる『どぜう』は、仮名遣いで「どじょう」。もともとは「どぢやう」または「どじやう」と書くのが正しい表記らしですが、それを「どぜう」としたのは初代越後屋助七の発案です。文化3年(1806年)の江戸の大火によって店が類焼した際に、「どぢやう」の四文字では縁起が悪いと当時の有名な看板書き「撞木屋仙吉」に頼み込み、奇数文字の「どぜう」の看板が出来上がりました。その後『駒形どぜう』の繁盛にあやかって、他の御店も真似するようになって「どぜう」と看板を書き換えた程です。

『駒形どぜう』に着いたら、中に入ってください。
暖簾をくぐった先は、大きなしめ縄が飾れた神棚が目に飛び込んできます。視線を下げると、どこかの道場かと思うほどに畳が敷かれた空間に圧倒されます。これは「入れ込み座敷」で、江戸時代の風情をそのまま残してます。何かこれから落語でもするのではと言う広さです。入店して空いてれば、「座敷と椅子どちらが良いですか?」と店員の方に聞かれます。混んでたら、外で順番が来るまで待ちます。ちなみに、座敷と椅子の意味は、座敷は入り込み座敷です。椅子の場合は、2階・地下に椅子席が有るので、そちらでのお食事になります。女性が座敷を嫌がらなければ、座敷がオススメです

店員から下駄番を渡されて、ツレと一緒に奥の座敷で板を挟んで向かい合い、胡座を組みながらお品書きを目を通す。色々と書かれてるのですが、頭に入って来ずにどれを頼んで良いのか?と分からず、女中さんに教えてもらい、どじょう鍋と柳川が付く『どぜう定食』を1人前にして頂きました。何故なら2人前だとどじょう鍋と柳川が2セットになるからです
小型の火鉢でグツグツ煮込んだ「どじょう鍋」が登場。どじょうの生臭さを感じないように、昔ながらの下拵えでどじょうを酒に染み込ませて、味噌汁で煮込む。一口食して、伝統の味に舌鼓を打つ。意外なほどの淡白な味に驚きと共に箸が進む。ボーとしてると火鉢の火力のせいで、少し焦げてくるので割り下を入れると、じわっとした煙と薫りがこれまた食欲を唆る。薬味箱に大量の葱が無料なのでどじょうの上に乗せてしんなりしたらどじょうと食べると食感が変わって、尚美味しい(笑)。トッピングで牛蒡を頼むのも良いかもしれないです。暫くすると、田楽と柳川が登場です。
どじょうを食べに来たので、田楽は箸休め的感じです。
どじょうと牛蒡を煮込んで卵とじにしたのが、柳川です。ここまで来ると二人で食べてると、お腹がいっぱいになってきました。その後、ごはん、お新香とどじょう汁。ご飯は別に1つ頼んだら、御ひつで登場しました。ここまで来ると、どじょう鍋に堪能しすぎてお腹のベルトを緩めないと、、、
お会計は着席式なので、女中さんに声を掛けて下さい。

江戸時代において、どじょうは貴重なタンパク源として重宝されました。何故なら、昔は牛肉を食す文化があまりなかったからです。それにこう言う感じの御店は、女性が好む好まないで分かれるかもしれないです。そういう場合は、いきなり誘うのでなく、軽くどじょう食べたこと有るとい感じで誘ってみては如何でしょうか?来てしまえば、古民家に感動し、初めて食べるどじょうに驚きと共にハマるかもしれないですよ。

どじょう鍋

田楽

柳川なべ

ごはん・お新香・どじょう汁